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2012/04/07 (Sat) 18:49:40
みなさん、はじめまして。
あたしは、天津外国語大学の学生、周白河と申します。よろしくおねがいいたします。
あたしは、友たちと一緒に天津の租界歴史を研究し、古い写真をいろいろと収集しました。しかし、場所不明の写真(日本租界の建物でした)があるし、どなたかお教えくださればと思います。
どうもありがとうございます。
天津の松坂洋行または松坂屋の場所について - 藤井下枝(祖母の名です)
2012/03/12 (Mon) 19:42:01
はじめまして。
天津の租界について検索をかけていてこちらにたどり着きました。
表題の通り、天津にありました松坂洋行または松坂屋の場所について何かご存知のかたがいらっしゃいましたら、教えていただけないかと思っています。
祖母は昭和14年〜16年頃、そちらに勤めておりました。25歳くらいの頃かと思います。アルバムが残っているのですが、詳しい場所がわかりません。また、松坂屋と、松坂屋の貿易部門のような松坂洋行とは、場所が違ったのかもしれません。
「松坂洋行」は「誠工舎事務所」と同じ建物を使っていたようです。事務所入り口の写真がございましたのでアップしてみます。
2012/03/13 (Tue) 09:55:16
藤井下枝さまのお孫さま
天津松坂屋については、下記の方にご連絡ください。
●日比野重幸(ひびの しげゆき)君。
〒215-0011 川崎市麻生区百合丘3-22-5-106
TEL044―955-4415
重幸君の父上が、天津松坂屋の支店長でした。先刻電話で確認し、あなたへ住所を開示するOKもいただきました。
なお重幸君は僕と天津日本中学の4期の同期生です。
あなたのお名前やメールアドレスをお知らせください。
添付写真をプリントして、重幸君に送ります。彼の父上が写り込んでるかも知れませんので。とりあえずお返事まで。
Re: 天津の松坂洋行または松坂屋の場所について - 藤井下枝の孫
2012/03/13 (Tue) 10:10:26
早々のご返信ありがとうございます。
ただいま、田中様宛てにメールさせていただきました。
2012/02/06 (Mon) 14:58:22
私も天津三笠国民学校の生徒でした。昭和18年入学しましたが父親の死亡により1学期にて内地静岡に転校 母親は14年3月病にて死去しました 父は華北交通に勤めていました 太田初男という名前です ほとんど記憶なく手掛かりもなくあきらめていましたが或る日突然学校の名前を思い出し
打つて見たところ色々なメッせージに出会い繰り返し繰り返し読ませて戴いております
Re: 取り急ぎ - 田中良平
2012/02/09 (Thu) 11:19:06
太田眞輔さま、田中です
驚きましたね。たまたま開いた(管理人は死去)HPの掲示板にあなたの書き込みを見つけました。僕は三笠ではありませんので、下記の下平 武君(しもだいらたけし)にメールされれば、三笠小学校(本人)、華北交通(父上)のこと、住居が河北地区でしたから、あなたご一家の天津での様子が分かるかもしれません。
昭和18年三笠小入学(転校ではなく1年生なら)でしたら、昭和12~3年のお生まれですね。辛苦辛苦幾山河でしたね、お互いに。
それにしても、今まで天津とのかかわりはまったくなかったのですか?
左肩のあなたのメール宛に返信キーで送信したら、着信不能で返却されました。念のため、この掲示板の返信ボタンを使い再送します。
●下平 武 tshimok@sweet.ocn.ne.jp
田中 良平
Email ryoins@silver.ocn.ne.jp
2010/01/29 (Fri) 11:26:37
天津松島日本高等女学校の卒業生の方を、探しています。
天津で貿易業を、いとなんでいました。
どなたか、西川 綾子を、知っておられる方、ご連絡ください。
2010/01/29 (Fri) 12:11:03
お尋ねの西川綾子さんとは、投稿者ご自身(今村綾子)のことですか?旧姓ですか? 終戦時の学年は? 卒業生なら何期生? 個人情報の関係もありますが、もう少し詳しい情報をお知らせください。松島の簡単な名簿なら手許にありますが・・・。
2011/10/06 (Thu) 22:00:33
日光堂(鈴木高之助:昭和17年8月没→鈴木芳太郎:昭和18年9月没)子孫の鈴木です。高之助葬儀の折の写真に日光堂の元主人であった方が写っており、その方のお名前が分かりました。
その方とは、塩原町出身(現那須塩原市、塩原温泉)の臼井邦太郎氏であることが分かりました。たぶん、この方が日光堂の創業者であると思うのですが確認を取るすべがありません。いつ頃の開店であったのか、どのような経緯で高之助が継いだのか(買い取った?)おわかりになる方いらっしゃいますでしょうか。
2011/08/26 (Fri) 17:22:57
私は、天津で、15歳~16歳まで叔父の岡田の家で、天津松島高等女学校に、姉と二人で住んでいました。
私は、この女学校の、何期生かは、解りませんが、戦争の始まる年に、大阪に、引き揚げてきました。昔が懐かしく思い
ここに、書きました。
天野さんご逝去 - 大原俊雄
2010/10/26 (Tue) 18:47:52
先程、野村さんから天野晴元さんご逝去のメールが入りましたので皆さんにご連絡致します。
25日 13:19 ご逝去
27日 18:00 お通夜
28日 12:00~13:00 告別式
会場 千代田セレモニー 明光院成増ホール
(電話 03-5968-8750) 以上です
2010/10/26 (Tue) 23:02:57
引揚げ後64・65年となりましたが、あれほど純真に天津を懐想された方はありません。また天津にかかわる会合にも熱心な、行動人でもありました。かつて天津に開学した小学校、中学校、商業学校、工業学校、高等女学校などの全同窓生を東京新宿に集めたアカシア会は、天野さんだから出来たことでした。その意味でも、在天津居留民の中の人格者の敬称「老天津」を、天野晴元さんに捧げたいと思います。
また彼が開設したこのホームページが、多くの天津ゆかりの人びとの思いがけない出会いや交歓に、大きく寄与したことも私たちは忘れません。
ありがとう天野さん。安らかにお眠りください。合掌
2011/07/09 (Sat) 12:18:49
初めまして。天津芙蓉街住んでおりました、旧姓 斉藤恵美と申します。親は金華洋行を営んでおりました。大正5年生まれですので、皆様よりかなり年上になりますが、懐かしく拝見させて頂きました。私の時代は、学校が少なく、天津女学校に通っておりました。天津中学校は弟3(12歳年下)が通っており、第1期生、天津商業は弟2(8歳年下)第1期生、弟1は中学校が天津になく大蓮中学校に通っておりました。
このホームページはたまたま、孫が見つけ、見せてもらいました。
私たちも、20年くらい前までは、「天津会」という同窓会をしておりました。高齢のため今は、かなり人数も少なくなりました。
これからも、ちょくちょく孫とともに、こちらのほうにお邪魔させていただきたいと思います。
私も写真があったと思いますので、何か探してみたいと思います。
2011/05/30 (Mon) 18:47:20
初めまして、城 保江と申します。
突然、お便りを差し上げる失礼をお許しください。
わたくしの父は 石丸弘光と申します。昭和2年生まれです。1993年に他界いたしました。実家に天津中学という記載がある古い写真がございます。まだあどけなさの残る父の姿が写っております。
実は、今年の夏、仕事で天津に初めて参ります。2、3日の滞在ですが、父が子どもの頃、過ごしたであろう地を訪れることに ある種の思いが湧いて参ります。そこでネットで調べておりましたら、このサイトを見つけました。もしや父の事をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか。あるいは、現在のどのあたりに天津中学があったのか、どのあたりに日本人が住んでいたのかなど、当時のことを教えていただければ幸いでございます。
どうか、よろしくお願いいたします。
2011/06/07 (Tue) 17:59:10
天津日本中学校第2期生の名簿に、石丸蒼樹(弘光)の氏名があります。住所は福岡市、勤務先は弘工業。但しこの全期名簿は(最終が7期)1989年5月制作で、全校同窓会のときにつくられた最終巻です。キャンパスは八里台の現国立南開大学で、もともと私立南開大学を日中戦争で日本が接収し、同年に開校した日本中学が使用したわけです。敗戦までの天津日本租界や居留民関係の情報は、当サイトホームページの「図書案内」ボタンをクリックしたら、山のように紹介されています。ドキュメント物では拙著「天津今昔招待席、租界人間模様」本・続の2冊と、長編小説2冊があります。ご参考になれば幸いです。以降の質問は、当方のメールアドレスをご利用ください。